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2023年10月28日
フランク・ロイド・ライト2
こんにちは、ビルド建築設計室の池内です。
前回のブログから紹介している建築家のF.L.ライト。
1910年までの彼の活躍は第一期黄金時代として位置づけられています。
しかし、ライトはある仕事のクライアントとのスキャンダルにより次第に仕事を失い、不毛の時代に突入します。
【ヴァスムート社出版の作品集】
このスキャンダルで一旦アメリカを離れたライトは、ヴァスムート社という出版社から作品集の出版を持ち掛けられていたためベルリンに渡航します。ベルリンでの滞在中、ライトは編集・監修の仕事に従事しました。
そうして出版された作品集は、様式主義から脱しようとしていたヨーロッパの建築家から注目を浴びることになります。
特にオランダに与えた影響は絶大で、ミースやベルラーヘ、また、リートフェルトや画家のモンドリアンといったデ・ステイル派にも影響を与えました。
(左)(シュレーダー邸(設計 リートフェルト)) (右)(コンポジション(作 モンドリアン))
【ミッドウェイ・ガーデン】
スキャンダルのほとぼりも冷めてくると、アメリカに戻りミッドウェイ・ガーデンという大きな仕事も徐々にできるようになります。
ミッドウェイ・ガーデンとはドイツのビアガーデンのようなものだそうです。
建築はプレーリー住宅に見られる水平方向の流動的な空間に塔による垂直動線も取り入れた、第一期黄金時代の集大成のような建築です。
特徴はキャンチレバーの屋根やバルコニー、塔の配置が特徴的な立面の対称性、やはり幾何学的な装飾など。
この外観、何かに似てますね。
その後、林愛作という人物から仕事の依頼を受け、ライトは来日します。
その仕事が帝国ホテルです。
【帝国ホテル】
水平・垂直方向に流動する空間やシンメトリックな立面など、多くの部分がミッドウェイ・ガーデンから受け継がれています。
特に幾何学模様がふんだんに刻まれた装飾は明らかにモダンではなく、異国的な雰囲気があります。
それは欧米の文化を取り入れ近代化を進めていた当時の日本において、ましてやホテルという新しいビルディングタイプに対して、
和風ではなく「外国人建築家による西洋建築」を期待され、それに対してライトなりに応えた、
という考察もされています。
この建築の設計では、地震大国の日本に建てるということで構造についても十分に検討されました。
大量の短いコンクリートパイルにより軟弱層に浮かせる、
エキスパンションを設けて建物を部分ごとに独立に挙動できるようにする、
配管や配線は埋め込まずに躯体と絶縁して吊る、
屋根瓦ではなく銅板葺きを採用する、など。
また、水平性を強調するキャンチレバーも荷重を支えながらバランスを取る工夫でした。
1923年の関東大震災では多くの建物が倒壊する中で無事生き残り、この出来事はライトの設計力の高さの証明となります。
続く